2016 年度学校建設事業 シャラク・サファ高校小学部

申請書

事業概要

アフガニスタンの概要

「文明の十字路」と呼ばれるアフガニスタンは、古代から交易の中継点として栄えました。18世紀には初めてアフガニスタン人の王朝が成立し、現在のアフガニスタン国家の基礎となりました。19世紀以降は、英露がアフガニスタンの利権をめぐり「グレート・ゲーム」を展開。英国との2度にわたる戦争の末、英国の保護下に置かれましたが、1919年の第3次英ア戦争を経て独立しました。

その後アフガンでは王政が続きますが、73年のクーデターで共和制が導入されました。70年代末には共産主義政党によるクーデターが発生し、同年12月、革命を救うとの理由でソ連がアフガニスタンに侵攻しました。ソ連が反ソ派のムジャヒディン(イスラム聖戦士)を攻撃する一方、米国がこれを支援するなど、米ソ連代理戦争へと発展しました。ソ連は兵の犠牲者数が1万人を超えるなど苦戦し、89年までに撤退しました。

しかしソ連撤退後、アフガンはムジャヒディーン間の激しい内戦に突入。多くの人々が難民となり、パキスタンなど近隣国へ逃れました。こうした中、タリバンが急速に勢力を拡大し、96年にはタリバン政権が発足しました。

その後、2001年9月11日、米国で同時多発テロが発生。これを実行したとされる国際テロ組織アル・カーイダをタリバン政権が援護しているとして、米国主導による軍事作戦が展開され、同年12月にタリバン政権は崩壊しました。

軍事作戦と同時に、タリバン政権崩壊後の暫定政権樹立に向けた調整も進められ、12月には「ボン合意」が成立し、カルザイ議長を中心とする暫定行政機構が発足しました。04年1月には憲法制定ロヤ・ジルガ(国民大会議)により新憲法を採択、10月にはアフガニスタン史上初の大統領選挙が行われ、カルザイ大統領が選出されました(09年の大統領選挙で再選)。05年9月、新憲法に基づき国会議会選挙が行われ、議会が発足しました。

2012年7月には、治安部隊撤退後の国際社会によるアフガニスタン支援について話し合う国際会議が東京で開催され、2015年から2024年までの「変革の10年」においても、国際社会が引き続きアフガニスタン支援に関わっていくことが合意され、2012~2015年の期間、国際社会が160億ドルを超える規模の支援を行うこと、アフガニスタン及び国際社会の相互責任を明確化し,それを定期的に確認・検証するメカニズム「東京フレームワーク」を創設することが合意されました。

2014年4月に大統領選挙が実施され、2期務めたカルザイ大統領は退任しました。2014年9月21日にガニ元財務大臣が大統領、対立候補だったアブドラ元外務大臣が行政長官として挙国一致政権を樹立することが発表されました。

アフガニスタンの治安は悪化傾向にあり、タリバンや従来の反政府武装勢力に加えて2014年からISがアフガニスタンでもテロ活動を始め、タリバンを敵であると宣言し、両者間の戦闘も激化しています。国連アフガン支援ミッションによると、2015年上半期の民間人の犠牲者は4,921名で、うち死者は1,592名、負傷数は3,329名で昨年度上半期と比べて1%増加しました。犠牲者の9割は、戦闘の巻き添えになるケースか自爆テロによる簡易爆弾の爆発の犠牲になるケースです。犠牲者のうち1,270名は子どもで、320名が死亡し、950名が負傷し、昨年の上半期より13パーセント増加しました。

アフガニスタンの教育の現状

近代のアフガニスタンでは、1919年の独立後、政府が教育による社会発展を推進しました。しかし、教育を含む急進的な近代化政策への反発から乱が起こり、一時近代的な学校がすべて閉鎖されました。1929年のナディル・シャー国王即位後、学校は再開され、1931年に発布された憲法では、政府の責任においてすべての子どもに初等教育を与えることが明記されました。しかしアフガニスタンの教育開発はなかなか進まず、初等教育は十分に普及しませんでした。1975年の成人非識字率(15歳以上で読み書きのできない人の割合)は88%と推定され、60~70年代にかけての小学校就学者の平均年間増加率は13%にとどまりました。

その後アフガニスタンは、79年末からのソ連の侵攻、続く内戦により、多数の学校が破壊されました。米ソの対立は教育の場にも持ち込まれ、たとえば算数の教科書には「もし共産主義者の死体が2体あり、さらに3人殺したとしたら、全部で何人の共産主義者の死体がありますか」といった、戦争に関するメッセージが含まれました。タリバン時代には、女性教員の就労が禁じられたほか、女子の就学が原則禁止されました。

2001年末のタリバン政権崩壊、暫定政権の樹立後は、国際社会の支援で教育の復興が推し進められました。2002年よりアフガニスタン教育省がユニセフの支援で実施した「バック・トゥ・スクール・キャンペーン」で就学者数は激増し、2000年時点の約90万人から2013年には約1,050万人と11倍以上になりました。普通教育の学校数は、2002年の6,039校から、2012年には15,154校に増加しました。

しかし、2013年時点の純就学率は72%(男子82% 女子61%)と低く, 不就学就学年齢児童数は330万人(75%が女子)もいるなど依然として課題は山積しています。また、全学校の半数には校舎がありません。多数の子どもたちが、テントや野外での学習を強いられています。高等教育を受けた教員、特に女性教員が不足しているうえ、教員の68%は無資格です。

学校は反政府武装勢力のターゲットとなっており、2014-15年度に少なくとも73件の学校に対する簡易爆弾等による攻撃が行われ、11名の子どもが死亡し、46名が負傷しました。少なくとも15名の教員が殺害され、10名の教員が誘拐されました。2015年8月にはカブールからカンダハルへ数万冊の教科書を輸送中のトラックをタリバンが襲撃し、これらの教科書を焼き捨てました。

2013年には539校が一時的または常時閉校し、その影響は子どもたちおよそ11万5,000人に及びました。事業対象地域であるカブール州、ナンガハル州においても女子校に閉鎖を求めたり、女子の就学をやめさせたりするための脅迫状が送付され、登校中の女子に酸をかけるといった行為が行われています。

事業の必要性

本事業の対象校であるシャラク・サファ高校はカブール市内にあり、市の中心部から車で約30分の場所にあります。2008年に開校され、学校の敷地は住民が提供しました。2009年にフランス政府の支援によって、24教室の校舎1棟、トイレ1棟5室、井戸、外壁が建設されました。中学部、高校部まで併設されている共学校で、小学部の児童・教員数は下記のとおりです。教室不足のため3部制を採用しています。

本事業の裨益者数は小学部の2,679名の児童および59名の教員です。中学部を含めた総児童・生徒数は4,496名、総教員数は121名です。なおカブール市教育局および同校校長によると、他の支援者からの校舎建設の支援の計画はなく、また近隣の学校においても校舎建設支援の予定はありません。

住民は主に小規模店舗の運営、建設労働に従事しています。治安は比較的良く、物資輸送のための道路は特に問題はありません。地域住民は、労働力の提供や資材の盗難防止のためのチェック、工事モニタリングといった協力を確約しています。

学校の外壁に沿って木材を組み、教室として利用している

テント

屋外で学習する児童小学(3,4年生)

テントの下で学習する児童(小学3年生)

活動内容
鉄筋コンクリート構造1階建て校舎1棟(12教室+4室)及びトイレの建設

アフガニスタン教育省の設計図に基づき、1階建て12教室と4室(図書室、教材室、職員室、事務室等として活用する小規模の部屋)からなる新校舎を1棟建設します。また、5室のトイレ(うち1室は障がい児用)を建設します。トイレは、教育省の新しい設計図に沿って、水洗となります。タンクをトイレの屋上に設置し、水をすでにある井戸からポンプでくみ上げます。なお、建物外部の塗装は2016年12月末までに完了する予定ですが、教室内部の塗装は、漆喰作業が終わり、完全に乾燥した後、行う必要があるため、2017年6月の試験休み期間中に行います。

また既存の地域のシューラ(コミュニティの合議組織)を利用し、学校建設に関わる住民を任命してもらい、学校建設に関わってもらいます。また、労働者の確保でも地元住民を主とし、技術職に限り地域で確保できない場合はカブール市より派遣します。

地域住民は以下の面で建設事業に参加、協力します。

・ 安全確保

・ 建設資材の管理、盗難防止

・ サイトエンジニアの宿泊及びコック提供

・ 教育局との調整

・ 労働賃金の適正価格の確保

・ 現地調達資材の適正価格の確保

・ 竣工式の開催

・ 建設後の校舎維持管理ワークショップへの参加

・ 校舎の引渡し後のコミュニティによる学校運営、校舎の維持管理

学校備品(教員用および児童用机、椅子、書類棚)の供与

教員及び児童・生徒用の机・椅子や本棚等の備品を設置します。

所在地

シャラク・サファ高校小学部